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「東京都・ちょこ様」から投稿頂きました。

2年前に、私は結婚しました。

 

両親は私が幼い頃から仲が悪く、家庭内別居が続いているような環境で育ちました。そんな両親を見ていたので、結婚に全く憧れを抱けないでいました。

 

高校卒業後、大阪の実家を離れ東京で暮らし始めました。東京での生活が20年以上たった頃、主人と出会いました。結婚願望が無かった私でしたが、『この人と結婚する!』と感じました。

 

結婚なんてしたくないと思う反面、結婚して絶対に幸せになってやるという両極端な思いがあったのもあります。大阪出身、東京20年以上在住、末っ子、お酒&お笑い好き、205号室、部屋のカーテンやゴミ箱も同じ・・・。主人とは共通点が多過ぎて、運命的なものを感じました。

 

10月に入籍が決まった時は、コロナ禍で大阪には帰れず、TV電話で親に挨拶しました。落ち着いたら顔合わせをしようと話していたものの、結局それも叶いませんでした。主人の父の癌が発覚し、抗がん剤治療を受けることになったのです。

2ヶ月程経過し妊娠が分かるのですが、健診で流産の可能性が高いと告げられました。子供を望んでいなかったはずの私達に、何かの意味を持って宿ってくれた我が子を絶対に守りたいと思いました。その思いが通じたのか、年明けの健診では、しっかり心臓も動き成長もしていました。主人と泣きながら喜んだあの時のことは、忘れることはないでしょう。

 

娘の誕生を誰よりも楽しみにしてくれていたのは、主人の父です。孫の顔を見るのだと、辛い抗がん剤治療も頑張ってくれました。無事娘が産まれ、年末に大阪に帰り、主人の両親とも会うことができました。

 

孫の顔を見て安心したのでしょうか、その月に息を引き取りました。そして、後を追うように4か月後、主人の母も亡くなりました。

 

父の葬儀で「孫の誕生を楽しみに、治療を頑張ってたんやで。お父さんに夢を与えてくれて、ありがとう」と言われた時、こんな私でも役に立てたのかもしれないと、とても嬉しくなりました。娘の存在が、両親に夢を与えられたようです。

 

娘の名前は、『ゆめ』です。何かの意味・・・色んな人に夢を与えるために産まれてきてくれた、そう思っています。