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阪神大震災

「大阪府・原朋子様」から投稿頂きました。

あの阪神大震災のことです。

どこに避難しているのか、無事でいるのかも分からない親兄弟をたずねて、さまよい歩いていました。そのうち辺りは薄暗くなり、様相を変えた町を、ただ心あせるままに歩くばかりでした。

さまよい歩くうちに商店街らしき所に出て来ました。二階がおじぎした様に前に倒れかかり、一階は半分位押しつぶされ、シャッターが歪んでいる家があります。中の片付けをされていたのでしょう、歪んだシャッターのすき間から、何か手に持った女性が出て来られました。

尋ねる人もなく、やっと出会えた方でしたので、申し訳ないとは思いましたが避難先を伺いました。その方は、丁寧に二つの学校と場所を教えて下さったうえに、「お気をつけて」と私を送って下さったのです。

熱いものがこみ上げてきて、お礼を言うのがやっとでした。

地震で道はなくなってしまっています。元々地理に疎い私は、不安を募らせながら、薄暗い中を歩き続けました。
どれくらい歩いたのでしょう、ポツンと残っている建物から洩れている灯りを目にしました。地獄に佛とは、正にこの時味わった気持ちを言うのではないでしょうか。

ここでもいらっしゃった方にお尋ねすると、同じように最後に「お気をつけて」との言葉を頂きました。不安を募らせていた私に、この言葉は大変心強いものでした。これ程に、人の優しさが身にしみたことはありません。

一週間程して、連絡のつかなかった弟が怪我をしていた事が分かり、電話で話す事が出来ました。この時体験した事を弟に話すと、「泣かせるなヨ」と声をつまらせていました。弟ともう一人いる弟の家は、震災時夕方に出た火で全焼しました。実家も全壊。

あの震災は、当たり前が当たり前でなくなった時です。そんな時、人の有り難さ、優しさ、そして素晴らしさを知りました。