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母の愛(パート2)!

「兵庫県・もも様」から投稿頂きました。

私がまだ心身ともに幼かった頃の話です。

私は当時両親ととても仲が悪く、毎日口論やいさかいが絶えませんでした。口論と言っても、私が一方的に母を責め立てていたようなものでした。

その日もまたささいな事で母親と口論になり、母を激しく非難して泣かせてしまいました。

その頃私はとあるデパートの洋服店でアルバイトをしていました。
昨夜は言い過ぎた、と反省しましたが、何しろ私は口ベタで天の邪鬼でおまけに意地っ張り。素直に謝るなんて事はしたことがなかったのです。

バイトしているその店で、黒いコートが目にとまりました。母は自分の物を殆ど買う事がなく、古い型遅れのコートを着ていたので、このコートをプレゼントして謝ろうと思いました。

その日帰宅して渡そうと思いましたが、何しろ私はひねくれた性格です。何を考えていたのか、そのコートを母に投げつけてしまいました。投げつけた後、すぐさま自分の部屋に戻ろうと母に背を向けた時、後ろでボソっと「ありがとう」と聞こえましたが聞こえないふりをしてしまいました。

こんな性格が嫌になります。
その数日後、また母と口論になりました。私は勢いあまって「もうこんな家いたくない」と母に言い放ち、自分の荷物をまとめて、「明日この荷物を持って仕事に行くから。それでそのままこの家には帰らない。」と言ってしまいました。母は何も言わず黙って見ていました。

次の日、私は誰とも顔を合わせずに家を出てバイトに行きました。休憩時間に入り、お昼を買いに行こうとカバンを開けると、見慣れた包みが入っていました。高校生の時毎日使っていたお弁当袋でした。

驚いて包みを開けると、お弁当と手紙が入っていました。

『何もしてやれなくてごめんね。どこへ出ていくのかは分からないけど、止めてもあなたは聞かないでしょうから。。。。。でもいつでもこの家に帰って来なさい。あなたは家族なんだからね。ご飯だけはきちんと食べなさいよ。コートありがとうね。どんな気持ちでくれたのか私はよく分かっているからね。』
手紙にはこう書かれていました。

そしてお弁当のフタを開けると、私の好物のおかずばかりが入っていました。私が家を出た時間はかなり早かったのにもかかわらず、母は私に知られないようお弁当を作っていたのです。私は泣きながらお弁当を食べました。

あれから数年。
今私は母と一緒に台所に立ち、一緒にご飯を作ったり、一緒に買い物に行ったりしています。

ひねくれた性格はまだまだ治らないけど、以前より母に優しくなれました。母の愛情はすごいなあと思います。