2009年1月アーカイブ

天に宝を積む

| コメント(0) | トラックバック(0)

一ヶ月に一度通っている絵のお稽古でのことです。

Sさんは、いつもの明るい表情で、いそいそと一抱えもあるお花を車から降ろし、教室へと運んで下さいます。

その姿を七年も見させて頂いたでしょうか。

プラスティックの容器(ペットボトルを半分に切ったもの)10個に全員のお花をセットして・・・そして、教室に入って花の名前を黒板に書かれるのです。

彼女の家のお庭に咲く種々の花々や、近くに里山があり、四季折々のひなびた花や実がそこかしこにできるそうで、それらを摘んで教室まで運んで下さるのです。里山の花や実を取るには、高い枝もあったり、足元が悪かったり、トゲがあったり・・・、その作業は、70歳を超えた彼女には、たやすい事ではないと思われます。

それは、私達生徒の素敵な画材となります。そして、思い思いにスケッチをした後は、自宅へ頂いて帰るのです。

いつも自然を愛し、花を愛し、人を愛する明るい彼女に尊敬の念を感じます。受け取る一人ひとりには、小さな贈り物かもしれませんが、その働きは真似のできない大きなものだと、私は深く感じ入っています。

彼女のやっておられることは、「天に宝を積む」事と思い、長い歳月の持続は出来るようで出来ないことと、心のお手本にしています。

約20年前の話です。

夏休みに九州の実家に帰ろうと空港に行きましたが、あいにく宮崎行きは満席でした。キャンセル待ちをしてなんとかチケットを手に入れましたが、雨の影響で欠航になってしまいました。

隣で飛行機を待っていたおじさんが、私に話しかけてきました。私と同様、宮崎に帰省するとおっしゃるのです。同郷ということもありすぐに意気投合し、『鹿児島』行きは飛んでいるので一緒に行こうということになりました。

すると、私達の話の内容を聞いていた東京の女性が、「どうしても私も宮崎に行きたい・・・」と話しかけてきました。

女性の切羽詰まった様子に詳しく話しを伺うと、朝起きると宮崎県警から電話があり、クルーザーで旅行中の夫が重体との知らせがあり、慌てて羽田にきたものの宮崎行きは欠航しており、とても困ってターミナルで途方にくれていると、宮崎弁の二人が何やら『鹿児島』経由の話をしていたので、思い切って相談してみた、とのこと。

その緊急事態に私達は急に仲間になり、女性を旦那さんがいる病院まで、一緒に送り届けようということになりました。

それから私達は鹿児島空港まで行き、迎えにきて下さっていたおじさんの息子さんの車で私の実家まで送ってもらいました。そこでバトンタッチして、実家で事情を説明し、実家の車で女性を病院まで無事送り届けました。

その後、女性からご主人は元気になったと、実家にお礼の手紙が届きました。不思議な縁のお陰で、少しでもお役に立てて良かったと思っています。

牛乳屋さん

| コメント(0) | トラックバック(0)

学生時代の思い出です。

私は陸上部(駅伝)に所属しており、毎日練習で10〜20km走っていました。更に学校まで往復で20kmの距離を、自転車で通っていたのです。毎日がトライアスロン状態でした。

私達陸上部は練習後、牛乳屋で休憩して帰っていました。愛想の悪い牛乳屋のご主人でしたが、しばらくすると、毎日立ち寄る私達の為に、休憩用の椅子も準備してくれる様になりました。練習後は牛乳屋で牛乳やジュースを飲む事が、部員の楽しみになったのです。

私が当時住んでいた宮崎県の高校駅伝は、西都市で県予選があります。私の高校からは少し遠い場所でした。駅伝大会終了時に、小さな叔父さんと叔母さんがダンボールを抱えて、反省会をしている私達を見ている様子が目に入りました。

牛乳屋のご夫婦です!

私達にいつもの牛乳を飲ませてくれる為に、県予選がある遠い場所までわざわざ、軽トラに載せて持ってきてくれたのです。普段あまり喋ってくれない寡黙なご夫婦ですが、その優しさに心を打たれました。

ご夫婦が牛乳を配達してくれる光景は、何年も続きました。そして、私達の後輩は自然と、愛想の悪い牛乳屋の椅子で休憩して帰るのです。

今でも牛乳を飲むと、あの愛想の悪い心優しいご夫婦を思い出します。

このアーカイブについて

このページには、2009年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年12月です。

次のアーカイブは2009年3月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。